ボクシダイ行進曲

雑記気分記

赤裸々by。

海岸線、浸る

 

はい、どうも。

 

GW中にめでたく誕生日を迎えた。

これで僕も30代、無理がきかなくなってくる年齢になった。

一足先の先輩方に30代の所感を聞くと「疲れがなかなか取れない」、「揚げ物が食べられなくなった」と口を揃え、目に暗いハイライトを落としながら語っていた。そんな姿を見て同じようにはなりたくないと思う反面、多分同じ道を辿るんだろうなとすでに若干諦めている部分がある。

なんにせよこれから(も)頑張っていきたい。

 

そんな暗雲立ち込める30代に身を沈める前日、つまりは20代最後の日に手持ち無沙汰となんとなくそうしたいという理由でドライブに出かけた。一応の目的地とそこに行くまでの無理くりな理由を何とか作り出して家を出た。そうでもしないと1日ベットの上で過ごす羽目になってたに違いない。

音楽とラジオを聞きながら千葉方面へ、ラジオはすんなり聞けたけども音楽は終始ザッピングをしていた。この曲の気分じゃない、もう少し落ち着いた曲がいい、1人ドライブ特有のやりたい放題な車内はそれなりに楽しかった。

行きは物価高の世知辛さとお財布の寂しさから下道と決めていた。その甲斐あって中間目的地までは3時間かかり、加えてGWの混雑からどんどん所要時間が加算されていった。予想はしてたけども実際に体験すると来るものがあった。そのため来月の自分に託して高速に乗った。多少の罪悪感はあったけども後悔はなかった。むしろ高速代をケチって時間を無駄にしたことの方が後悔だった。

そんなこんなで行ってみたかったボルダリングジムへ到着。初回の受付を済ませ会員カードとサービスチケットを受け取る。その際に「たぶん使わないと思いますが」と言われたのに腹が立った。勝手に決めるんじゃねぇボケ。まぁ、その通りなんだが。

Google map のレビュー通り辛めの課題が多く思った以上に登れなかった。力なく無様に落ちては休憩を繰り返し、ふと「今日もいいことないなぁ」と特大のセンチメンタルな気分になって危うく帰りかけた。

 

小一時間の登頂を終え再び南下を開始。

ラジオとカラオケとザッピングを繰り返しながらの数時間の運転、途中の休憩最中に「なぜザッピングをしてしまうのか」をChatGPT質問したところ「曲を聴くよりも『切り替える』ことが目的化している、運転中の手持ち無沙汰からこのパターンに入りやすい」と言われてなるほどなぁと思った。その着眼点は思いつかなかったから。

そんなこんなで最終目的地に到着。そこはフォトジェニックな観光スポットで映えに飢えたハエどもがGWだけあってたくさんいた。無論自分もその内の一匹。インスタかなんかで写真を見て以来、いつか写真を撮りに行きたいと思ってた。

あとは20代最後の日になんとなく海を見ておきたいと思ったのもここに来た理由。俗に言う浸るってやつ、ただ海を見て「なんだかなぁ」と理由もなく感傷に浸って主観的になりたいと思った。ただそれだけのために貴重な数時間と遠征費が釣り合うかと問われると「いいえ全く」と即答できてしまう1日だったけども来てよかった。そのおかげでまぁまぁいい写真が撮れたから。自分としてはそれだけで労力を費やした価値がある。

無意味、無価値、不合理。今の時代はタイパやコスパが重視される。その気持ちは理解できるし自分もどちらかというとそれらを推奨する人間だ。ただそれと同時に、その無駄なものの中に自分を構成する何かやそこにしかない価値観があるとも思ってる。とある今は亡き大物俳優が『無駄の中に宝がある』と言ったように、いつか自分も「ボルダリング絶対やめた」と傍らでほざきながら言ってみたい。

f:id:ogaryohey:20250615205918j:image

 

帰りはアクアラインを通って首都高バトルでもしながら帰ろうと思ったけど、事故渋滞が酷すぎて断念。久々に海ほたるに寄りたかった。

夜飯は丸亀。運転疲れもあってしょっぱいつゆが身に染みた。大学時代、時間割を組み合わせて作った休みの日にじーちゃんばーちゃんと丸亀に行ったことが何度かあった。もう2度と一緒に食べられないのかと静かに啜りながらしんみりと思った。

Twitterで「葬儀では泣かないけど、身近なものに故人を感じて泣く」という呟きを見て以来、それが心に刺さっている。これはまさにこのことなんだなと、わずかに残る二人との思い出を思い出しながら帰宅した。

 

Creepy Nuts × 菅田将暉/サントラ

ヨルシカ/火星人

Sundae May Club/春